母
どんなに理想的な母と娘にも、相容れない点はきっとあります。私が若い頃は、母に腹が立つ事も当然ありましたが、子供達の手が離れてからは、日中二人でドライブに出かけたり、買い物に行ったり、お昼を食べたり、気楽な「友人」という感じでした。母はもともとは内気だったのに、ワンマンな父で苦労しすぎて、無理やり強くならざるを得なかった人です。違う人を伴侶に選んでいれば、もっと穏やかな人生を送れたのにね。最後に振り返って、「幸せな人生だった」。。。と思うでしょうか。案外、あっさりしたものかもしれません。娘の私と違う点は、楽天的だというところです。世の中を批判的に見ていませんし、考え方がシンプル。怒りもするけど、良く笑う。くじけない。そして社交的。
母は40過ぎてから車の免許を取り、東京・京都と、運転しない父を乗せてどんどん遠出をしました。車の運転が何より好きで、運転していると「気持ちがすーっきりする」と言っていました。車の教習所主催のドライビングコンテストに出て、賞を貰うほどでした。ですから、70歳近くなって免許を返納したときは、とても悲しかったと思います。私達がなるべくドライブに誘いましたけど。これまで出来ていた事が、どんどん出来なくなる。それが「老いる」ということです。私達の車の後部座席から、景色を眺めていた母を思い出します。もう今は、車で外出する元気も無くなり、また一つ、出来なくなった事が増えました。暖かい春になったら、ドライブにも、お気に入りのフリーマーケットにも連れて行きたいと思ったのは、ほんの数ヶ月前です。それから、あっという間に、弱々しくなりました。
母は、洋裁のプロです。小さい頃から、母の作る洋服を着て育ちました。ただ、女性は「母の作る洋服」が嬉しかった人と、迷惑だった人に分かれるんですねー(笑)。私は、後者です。学校の遠足の時、朝起きたら徹夜で母の作った洋服が待っている。私は、気が重い(笑)遠足の記念写真には、ほぼクラスメート全員普通の洋服の中で、一人だけスタイルブックから抜け出たような私が写っています。まるで小公女セーラの「ラビニア」状態(大笑)。でも、人と違っている事の恥ずかしさのほうが大でした。わたし、セーラにもなれませんけど、ラビニアも無理です。今は「人と同じ」が嫌なんですけどねー。変われば変わるものです。
母が洋服の仕立てをしている時、私はそばでそれを見ているのが好きな子供でした。時々、「絵を描いて」とねだると、忙しかったはずなのに絵本の中から一生懸命真似て描いてくれました。私は、プロの描いた絵本の絵より、母の描いたものが好きでした。子供って、そんなものです。そして、それをすることが親として大切な事だと分ります。しっかり記憶に残りますから。既成のものを買い与えるのが、思い出を作るのではありません。母はプロの仕事で、人形の洋服も作ってくれました。きちんとした仕事ぶりだったのは、そばでじーっと見ていましたので良くわかっています。ミシンの音が懐かしい。ハサミで布を裁断する音も。
私は面と向かって母と喧嘩したことはありませんし、言い争った事もありません。ただ一度だけ、後にも先にもたった一度、母と極度の緊張状態になったことだけはあります。私が東京でまだ仕事をしていた時分、母が遊びに来た事がありました。プチ家出だったかもしれません。それまで父のハチャメチャ生活の愚痴を聞かされても、穏やかに聞いていた私だったのですが、その時一言、「そうなるには、お母さんにだって問題あるんじゃない?」と。大人のコメントですね。喧嘩両成敗。でも、これが母にはショックだったようで、それから暫く口をきいてくれないほど怒っていました。今でも語り草です(笑)娘には100パーセント父が悪いと言って欲しかったんでしょうね。私も長年の溜まったものを、穏やかに吐き出したんですね。我慢はいけませんから。
「母の」というか、問題はあっても長らく連れ添った「妻の勘」に、驚いた事もあります。父は癌で入院していましたが、状態がかなり悪くなったある日、母が私に電話をしてきて「どうも、今夜が危ないような気がするから、一緒に病室に泊まってくれないか」というので、行きました。それまで、寝泊りしていたのは母や叔母だけで、わたしは初めてでした。そして、まさにその日、父は亡くなり、最後を看取ったのは母と私だけ。病院の近くに住んでいた兄達も、心配していた親族達も誰も間に合いませんでした。父は、他人の面倒見が良く、頼りにされ、人気者でしたが、最後そばにいたのは一番父に厳しかった私と母。葬儀の時、私が流した涙の理由を知っているのは、ただ私だけです。叔母は私の涙でもらい泣きしたと言ってましたけど。
人間、食事を摂れなくなったり、歩けなくなったら、もうそれまでの元気だった頃の面影はなくなります。それは、ショッキングなほどの変化です。母はついこの間まで、声をあげて笑っていたのに、今は力なく眠っていることが多くなりました。でも、元気だった頃の写真をアルバムに貼り、枕元で見せると反応を見せます。「有難う」と、手を合わせたり、ひとことふたこと話します。私は、母の頭をなでながら、なんだか、自分の子供を「よしよし」しているような気になります。今、医療でどこまで「生かすか」が悩ましい問題になっていますが、私がこの状態なら、延命はしなくてもよい。だって、十分生きたから。母もそう思っているはずです。でも、そんな日はもう来ないだろうと感じていても、出来ればまた体力が戻り、暖かくなったら車椅子で買い物やフリーマーケットに連れて行きたい。喜ぶ顔が見たい。
by jeweleyes1984
| 2016-02-10 13:09
| Miscellaneous
◆◇◆アンティーク素材の「救済」に日々奮闘中◆◇◆
by jeweleyes1984
Link
カテゴリ
全体Sewing・Knitting
Sewing Box
Antique Doll
Japanese Bisque Doll
Antique Jewelry
Christmas Tree
Antique Bear
Doll Dress
Antique Lace
Miniatures
Picture Frame
Tsurushibina
French Fashion Doll
Flower
Jewelry Box
Room Renovation
Antiques
Glee
Needle Felting
Miscellaneous
Rebuilding my house
以前の記事
2024年 02月2024年 01月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 02月
2022年 11月
2022年 10月
more...
最新の記事
待ちきれず |
at 2024-02-16 16:26 |
褒められます |
at 2024-02-07 16:40 |
2023年大晦日ー2024年.. |
at 2024-01-13 00:59 |
展覧会おわりました(1) |
at 2023-11-28 11:56 |
展覧会終わりました(2) |
at 2023-11-27 14:00 |
展覧会おわりました(3) |
at 2023-11-26 11:56 |
2023年11月23日(木・.. |
at 2023-10-07 13:01 |
2023年春です |
at 2023-06-11 10:42 |
レウイシア好きすぎ |
at 2023-05-04 12:27 |
まだまだ作業途中 |
at 2023-04-27 15:40 |